こんにちは、Hassyです。
新しい元号が令和になり、色々なことが新しく変わっていこうとしています。
その中で、紙幣の顔が変わる!ことが発表されました!
この出来事は20年ぶりだそうです!
そこで今回は題して『紙幣刷新!一万円札、五千円札、千円札の人物変更!いつから?』
をお送りしたいと思います。
紙幣刷新!一万円札、五千円札、千円札の人物変更!
とうとう、紙幣刷新で顔が変わる時が来たかと!まずは思いました。
僕の中で、長く親しまれた福沢諭吉先生が変わるのはさびしく思いますが、決定事項なので仕方ありませんね。
では一体、誰がなるのでしょう?
一万円札 渋沢栄一
第一国立銀行や東京証券取引所などの企業を設立、経営した実業家
五千円札 津田梅子
津田塾大学の創始者
千円札 北里柴三郎
近代日本医学の父として、ペスト菌などを発見するなど医学の発展に貢献した
そうそうたる顔ぶれで、各方面を代表する人たちが連なりましたね。
その中で今回は一万円札の渋沢栄一先生について少し深掘りしていこうと思います。
一万円札の渋沢栄一ってどんな人?
1840年2月13日~1931年11月11日(91歳)
幼い頃からお父さんに学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から論語を学びました。
一時期尊王攘夷の思想を持っていて、高崎城の乗っ取り計画を立てましたが中止し、その体裁で勘当を受け、京都にでました。そこで江戸遊郭の時から交際のあった平岡円四郎(一橋家家臣)の推挙によって一橋慶喜(後の15代将軍徳川慶喜)に仕えることになりました。
次第に認められていった渋沢栄一は。27歳の時に水戸藩主・徳川昭武に付いてパリの万博や欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に通じることができました。
新政府により、帰国を命じられた渋沢栄一は静岡で商工会所を創りました。しかし、大隈重信に説得され、大蔵省(現:財務省)に入省しました。
大蔵省勤務は明治2年~明治6年
ここからが、渋沢栄一の実業家時代となり、退官後間もなく官僚時代に設立していた、第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任。また七十七国立銀行など多くの地方銀行の設立を指導しました。
第一国立銀行を拠点に株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また道徳経済連合一説を説き続け、500もの企業に関わったと言われています。
さらに600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力しました。
渋沢栄一の書籍で有名なベストセラー
論語と算盤があります。興味のある方は読んでみてください。
いつから?
ではいったい、いつから紙幣が流通するのかということが気になるところだと思うのですが、紙幣が変わったのが、
まずは一万円札が1984年に聖徳太子から福沢諭吉となって以来の変更となり、
五千円札が2004年に新渡戸稲造から樋口一葉、千円札が2004年に夏目漱石から野口英世になった経緯をみて、
20年ごとに紙幣の変更がなされていることがわかる通り、今回の紙幣の変更はこの時期の発表から見ても2024年になると思います。
まとめ
今回ご紹介した『紙幣刷新!一万円札、五千円札、千円札の人物変更!いつから?』はいかがだったでしょうか?
紙幣刷新ということなんですが、一万円札はお金に携わる人、五千円札や千円札はそうじゃないんですよね。
キャッシュレス化が進む中での紙幣の変更に疑問を持つ声があるのも事実です。必要か不必要かと言えば、確かにと思うところもあります。
ただ、紙幣の偽装防止を目的に変更されるということが紙幣の変更の一番の目的のようです。
今回凄いのが一万円札、五千円札、千円札全てが一気に変更されるのがすごいですね!
流通まで概ね5年後ですが、キャッシュレス化がどれくらい進んでいるのでしょうね。
今回は以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。
ではまた、Hassyでした。